映画「イエスマン ”YESは人生のパスワード” 」あらすじ感想とネタバレ。ラストシーンの考察も!

イエスマンの作品情報

監督 ペイトン・リード

公開 2008年

編集 ロバート・D・イェーマン

主演 ジム・キャリー(カール)

キャスト ズーイー・デシャネル(アリソン)、ブラッドリー・クーパー(ピーター)、リス・ダービー(ノーム)、ダニー・マスターソン(ルーニー)、テレンス・スタンプ(テレンス・バンドリー)

あらすじ 後ろ向きな思考で何事にも「ノー」と答え、そんな性格から仕事も私生活も恋愛もうまくいかない男カール。彼が周りから孤立し始め、先行きに不安を感じていたところ久しぶりに会った友人のニックから自己啓発セミナーに参加させられる。そこで彼は選択肢があればすべて「イエス」と答える誓いを立てさせられてしまった。「ノー」と言わなくなった彼の身の回りに変化が起き始める。彼が最後に得たものとは?


ネタバレ

この先ではネタバレを含みますので映画を見ていない人はお気を付けください

主人公のカールは何に対しても「ノー」と答え、親友のピーターに無理やり連れてこられた飲み会では親友が婚約したことを知らされます。その飲み会では彼の「ノー」と答える性格に嫌気がさし、別れた元妻と出くわしてしまい、飲み会を退散してしまいます。そんな彼は仕事でも契約スタンプを押すことは少なく結果が出ないため、昇進することができず、将来に不安を抱えます。

そんな折、久しぶりに会った友人のニックから何に対してもイエスと答える「イエスマン」になって人生が変わったと聞かされ、ニックから「イエスは人生のパスワード」と書かれたセミナーの冊子を渡され、人生が楽しくなると話されます。そして親友の婚約パーティを忘れており親友は激怒し、そのままだと孤独死することになると脅され、カールは本当に孤独死する夢を見て不安になりニックに渡された冊子のセミナーに参加することにしました。

セミナーに向かうと大ホールのステージには代表のテレンスが現れ、「初めて参加したものはいるか?」という発言に対して、ニックがカールが初参加であること発言します。するとテレンスはカールの目の前に座り、カールにこれからはすべての選択肢に対してイエスと答える誓いを立てさせ、もしも破れば天罰が下ると伝えます。

セミナーが終わり車に乗って帰ろうとしたところ、通りすがりのホームレスに車に乗せてもらうよう頼まれ、断ろうとしたカールでしたが近くにニックがいたため、「イエス」と答えました。セミナーでの誓いを守り、車の中ではホームレスの言うとおりに携帯の電池がなくなるまで使わせてやり、言われるままに有り金までやったカールでしたが、丘の頂上あたりでホームレスを下ろした直後に車はガス欠になってしまいます。そこでカールは丘からガソリンスタンドまで歩いていき、ポリタンクにガソリンを買って車へと戻ろうとしました。

するとスクーターに乗った美しい女性が現れ、事情を説明したところ、スクーターで車まで送ってくれることになりました。彼女のスクーターの後ろに乗せてもらい楽しく走った後、キスまでしてもらえたカールは「イエス」と答えることの力について信じるようになっていきました。

次の日、仕事の先輩であるノーマンから急遽「休日出勤してほしい」と頼まれたカールは誓いを守るために引き受け、それをきっかけに昇進し給料も上がりました。「イエス」と答えることでいいこと続きになった彼は「イエス」の力を完全に信じ、ピーターに婚約パーティーに行かなかったことを謝り、これからはイエスマンになることを宣言します。そして仕事でも契約スタンプを押すようになり、その結果利益が上がり昇進することができました。

ある日、隣人の老婆から、体の誘いを受けますが彼はこれを断りました。するとその帰りに階段から転げ落ちたり、犬に襲われたりと散々な目にあったのです。そして彼はこれは「ノー」といったことの天罰が下ったと考え、彼女の誘いを受けることにしたのです。

それからというもの、彼はすべての選択肢に対して「イエス」と答え、その結果彼は飛行機の運転や韓国語のレッスン、ギターなどさまざまなことに挑戦し始めます。挑戦したこれらの特技を使って悩みのある韓国人の女性と韓国語で話し、助けたり自殺しようとしている人にギターの弾き語りをし、自殺を止めたりなど周りの人を助けるようにもなりました。

事の成り行きであるライブを観に行ったカールは、ステージで歌うスクーターの女性アリソンと再会します。彼女はジョギングフォトの先生で、バンドのほかボランティアや絵を描いたりもしていました。カールは早朝開かれるアリソンの教室に参加したり、コスプレパーティーへ一緒に参加したりしながら仲を深めていきます。野外コンサート会場にもぐりこんだふたりは熱いキスを交わしました。

やがてカールはアリソンと、行き当たりばったりで行先を決める旅行に出ます。ふたりは一番早く出るネブラスカ州行きの飛行機に乗り込みました。愛を深めたカールとアリソン。「帰ったら一緒に暮らしたい」というアリソンの言葉に一瞬躊躇しながらも、カールは受け入れます。

しかし、その帰りにロサンゼルス行きの飛行機に乗ろうとしたカールは、FBIに連行されてしまいます。「イラン人花嫁紹介.com」への会員登録、有機肥料配達業への融資、飛行訓練、韓国語の習得、半年前の離婚などの事実から、彼はテロリストの嫌疑をかけられたのです。友人のピーターはカールの嫌疑を晴らすために、セミナーを受けて以降の彼は何にでも「イエス」と言うようになったことを証言します。

そのことを隣で聞いていたアリソンは、カールが一緒に住むことに「イエス」と言ったのもそのセミナーのせいで本心ではなかったのではとカールに強く問い詰めます。ピーターのおかげでカールは無事釈放されたものの、アリソンは彼のもとを去ってしまいました。ピーターは、何も考えず「イエス」と言い続けたせいだと言ってカールを叱ります。

その後、カールはピーターと婚約者のためにいままで契約スタンプを押してもらった人やカールによって助けられた人たちを集め、サプライズパーティーを開き、ふたりを喜ばせました。しかしアリソンはまだ電話に出てくれません。

パーティーから帰宅したカールは、元妻のステファニーに呼ばれます。愛していた恋人と喧嘩をし、彼が出て行ってしまったことに傷ついていた彼女はカールにキスして今日泊まっていくことを強くお願いします。しかし、カールはアリソンのことを想い「ノー」とはっきり断りました。

そしてその帰り、エレベーターが壊れて止まってしまう、車は駐禁でレッカーされてしまうと散々な目に遭ったために、誓いを中断しようとイエス運動を始めるきっかけになったを行っているテレンスの車に隠れ、走り出したところで声をかけました。すると驚いたテレンスが運転を誤り事故を起こしてしまいます。

病院に運ばれたテレンスとカール。カールはイエス運動中断したいとテレンスにはなします。するとテレンスは何も考えずにイエスしか言わないのは嘘だと話し、はじめは無理にでもイエスということで次第に自然と「イエス」が心から出るようになるのだと話します。「イエス」の本当の意味を理解したカールは、笑顔でテレンスに礼を言いました。

今は午前5時40分と聞いたカールはパジャマのまま病室を飛び出し、ジョギングフォトを行っているのアリソンのもとへ向かいます。カールは、一緒に住もうと言われた時に躊躇した本当の気持ちを素直に話しました。そして、それでも「イエス」と言ったからこそ君に出会えたのだと必死で語りかけます。カールは「君は人生を楽しんでいて、怖いものなしって感じだ」というセリフに対して、アリソンは「怖いものなんて死ぬほどあるわよ」と答えます。すると「一緒に怖がりながら生きていこう」と言った彼に、アリソンは「いいかも」と答えます。カールは彼女を抱きしめてキスします。そんなふたりの姿を、生徒たちが写真に撮ります。後日、ホームレスのためにたくさんの衣類を寄付したカールは、「喜んで寄付してくれる人たちを大勢知っているので」と言って笑います。そのころ、セミナーを開いていたテレンスは驚いていました。客席には素っ裸の人々がぞろりと並んでいたのです。

おすすめ度と感想、名言

おすすめ度
イエスマン”イエスは人生のパスワード”
 (4.5)

なぜ★4.5かというと基本的なストーリーはとても面白く、★5にしてもよかったですがギターで自殺しようとしている人を止めるシーンがむりやり感があって少し残念でした。しかし、コメディというだけあって笑いあり、感動ありの素晴らしい作品だったと思います。結局この作品で伝えたいことは「やみくもに言ってはいけないが、イエスは人生を豊かにするためのパスワードである」ということなのかなと思いました。

この映画の名言

「この世は遊び場よ、子供のころは知っているのに大人になると忘れちゃう」

だと思います。これは私がいいなと思ったものですので、自分で見て探してみてください。

ラストシーンの考察

ラストシーンでは服の寄付がたくさんあり、カールは「喜んで寄付する人たちを大勢知っているのでね」というセリフから場面が変わりイエス運動代表のテレンスさんがお決まりのセリフ「君たちが百万回唱えてもう百万回唱えるその言葉は、、、」というセリフに続いて素っ裸のイエス運動を行っている人たちが「イエス」と叫び、困惑するテレンスさんが、「これは、どういうことだ」というセリフで締めくくられています。感想でも述べた通り、この作品のメッセージは「やみくもに言ってはいけないが、イエスは人生を豊かにするためのパスワードである」ということですがラストシーンではこの「やみくもに言ってはいけない」という部分を強調するためのシーンなのかなと考えます。やみくもに「イエス」と言ったらこのような無様な姿になりますよ。という意図だと思います。

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